ご由緒



両部大日如来様

両部大日如来様

当院は金剛界・胎蔵界の両部大日如来様を御本尊とする真言宗智山派の寺院であります。
古くより多くの信徒で賑わい、通称『内丸のお湯殿山』と呼ばれております。
即身仏として名の知れる鉄門海上人は文政3年に来盛して、布教に努め金剛珠院の礎を築きました。その後、明治の初期に佐藤全長・青岳の二僧が盛岡をはじめ紫波、稗貫の各地を巡り湯殿山の効験を説き、湯殿山に登参し講をつくるなどして自らも加持祈祷を修し諸人の苦難を除き人々を善導してきました。
明治6年に盛岡市内丸大手先東側の元四戸孫四郎武虎の屋敷跡の北側の地を借り、仮仏道とし湯殿山法楽祈祷所としました。次第に信徒が増加したため、明治13年4月現在地に本堂並びに庫裡を建築され、平成4年および平成22年に本堂を修復し現在に至っております。



1月1日  元朝祈願 新年初護摩祈祷
2月3日  節分会 豆まき 厄祓祈祷
6月8日  火防祭 護摩祈祷
12月8日  湯殿山ご縁日 護摩祈祷祭

御本尊 両部大日如来様の御開帳は未年と申年になります。
下記仏像が盛岡市指定有形文化財になっております。


【木造両界大日如来坐像 二体】
両界(金剛界・胎蔵界)の大日如来坐像は、湯殿山注連寺より請来したもので、対になって同じ厨子に安置されています。両像共に寄せ木造りの漆箔像で、金剛界坐像は柔和ですが胎蔵界坐像は厳し表情となっています。金剛界坐像は江戸中期、胎蔵界坐像は江戸末期の製作です。市内には天台、真言といった密教寺院が少なく、その本尊仏は貴重な文化財となっております。
金剛界坐高 44.5㎝  胎蔵界坐高 41.0㎝


【木造薬師如来立像 一体】
本像は古くから手代森村(現在の盛岡市手代森)の大沢部落にある薬師堂に祀られてきた尊像ですが、平成22年10月に当院に移されました。製作時期は平安時代末期と推定され正面2材、背面1材、側面各1材の計5枚を使った寄せ木造りで、全体的に穏やかで円満な作風の典型的な3尺仏です。後世の修理によって彩色が改められているものの、三尺仏の構造、様式、法量に適った平安仏であり、紫波町、盛岡市間の平安仏の空白を埋める資料として貴重な文化財です。
像高96.5㎝


【紙本着色如来荒神曼荼羅 一幅】
軸装仕立ての仏画で、本図は中央の内円相に相好柔和な金剛薩埵の化身という一面六臂の如来荒神を描いています。上に日・月、外円周縁に上から右回りに勢至、大日、不動、阿弥陀、千手、虚空蔵、文殊、普賢の八尊を描く別尊曼荼羅で希少です。
描法も丁寧で彩色の顔料も優れ、専門の仏画師の手になるもので江戸前期を下らない頃の作と見られる極めて貴重な文化財となっております。